アフリカとの出会い62
「小さな村の小さなカフェで」    

アフリカンコネクション    
竹田悦子 訳


  私がケニアに住んでいたとき、義父母が住むキクユ族のキアカンジャ村に帰るのは、農作業の手伝いをする為だった。その農作業の合間に訪れる場所があった。この村の街中にある1軒の小さなカフェだ。村人のみんなが、「家」と呼ぶ場所。看板もなし。営業時間も特に決まってない。そして、メニューは1つ、それは熱々のミルクティーだけ。訊かれるのはお砂糖を入れるかどうかだけ。

            →ケニアのお茶を飲む風景
        ケニア 中央ケニア州 ニエリ県 キアカンジャ村の実家にて
                                  撮影 竹田悦子


 10年前に訪れた当時は、村にたった一軒だったそのカフェには、村中のいろんな人が集まって来ていた。席は、10人座れば一杯になる部屋が2つ前後に並んでいて、それぞれの部屋は茶色のペンキで塗られ、茶色のテーブルと茶色のイスという統一感のある色彩が自分の家にいるような落ち着いた雰因気を醸し出していた。前方の部屋は1人客が多く出入りが激しい。奥の部屋は団体客が多く、長居する人達が多い。

 私は、1人でふらりと入る。勝手に空いている席に座ると「SUKARI(シェカーリ)?」と訊かれる。「シュカリ」は、スワヒリ語で砂糖を意味するが、キクユ語が主に話されているここでは、「シュカーリ」と語尾にアクセントが付いている。この店ではスワヒリ語と同じ言葉でも、発音はキクユ風と言う言葉も多い。「砂糖」もその1つだ。いろんな部族が入り混じる首都ナイロビと違う。それだけで私は、「ああ、今キクユ族の村にいるんだな」と感じる。

 砂糖は、村人にとっては贅沢な品である。なのでほとんどの人は、砂糖を沢山入れてもらっている。私も沢山入れてくれるように頼む。まもなくガラスのコップと熱々紅茶の入った大きなヤカンが出てくる。ホーローやプラスティックのコップが主流のケニアで、この店は耐熱のグラスが出されるという滅多にないとても珍しい店だ。ストーブの火で熱せられていたヤカンに入ったあつあつの紅茶を、高い位置から一直線に一気にコップに注いでくれる。そうすると少し飲みやすい温度になってくれる。

 飲み始めるや否や、私が座っているところへ人がどんどん移動して来て、席を詰め合ったり、替えたり、イス取りゲームのような感じになる。初めましてと挨拶を交わす人や良く知り合ったなじみの人、家族、近所の人、学校の先生、牧師さんなどなど本当にいろんな人が入れ代り立ち代わり、グラスを持って移動して来ては話し、去っていくのだ。日本の喫茶店は、一度席に着いたらほとんどの方が動くことはないと思うがここはまさにメリーゴーランドだ。私が外国人で珍しいからではない。どんな人が入って来てもここではそうなのだ。

 まさにここは、この村のみんなの「家」。家の延長であり、公共の家としての場所。入り口は玄関で、お店の中は居間だ。

 私が1人で行くと、よく義父に会う。義父は寡黙な人なのだが、いつも沢山の友人に囲まれている。聞けば、彼は「村一番の聞き上手」だそうだ。おしゃべりな人が多いキクユ族だが、義父のような聞き上手はおしゃべりの相手として好まれるらしい。友人の話に笑顔でうなずく義父の顔が私は大好きだ。そして、いつも言う。「娘よ、こっちに来て座りなさい」と。一緒にグラスを並べて過ごす時間。そうやってここで村中の人をたくさん紹介してくれたのが義父だった。

 来る人は変わっても、みんなのもう一つの「家」であり続けるだろう村のカフェで、私はいつも人のぬくもりを感じた。外国人とか、日本人とかは、何の意味があるのだろうと思う。お互いがただの人と人同士だということを感じさせてくれるのがこの村のカフェにいる時間だった。

 私がその店を訪ねていた頃から既に10年経った。現在では人口の増加に伴い、カフェの数も増えているらしい。そしてそれぞれの店の名前もちゃんとあり、看板も付けられて「家」ではなく「店」として営業している所が多いと聞く。でも私がいつも心に思うのは、あの場所でのあの時間だ。



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